東京高等裁判所 平成9年(行ケ)319号 判決 1999年10月13日
原告
株式会社日本テクノ
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁護士
湯浅正彦
同弁理士
【B】
被告
オリエンタルエンヂニアリング株式会社
代表者代表取締役
【C】
訴訟代理人弁理士
【D】
同
【E】
同
【F】
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成7年審判第19397号事件について、平成9年9月30日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
(1) 被告は、名称を「鋼の熱処理方法」とする特許第1242631号発明(昭和52年10月14日出願、昭和59年4月12日出願公告、昭和59年12月14日設定登録、以下「本件発明」という。)の特許権者である。
原告は、平成7年9月6日に被告を被請求人として、上記特許につき無効審判の請求をした。
特許庁は、同請求を平成7年審判第19397号事件として審理したうえ、平成9年9月30日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年11月5日、原告に送達された。
(2) 被告は、平成11年3月9日、本件明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を訂正する旨の訂正審判の請求をしたところ、特許庁は、同請求を平成11年審判第39025号事件として審理したうえ、同年4月15日、上記訂正を認める旨の審決をし(以下、同訂正審決に係る訂正を「本件訂正」という。)、その謄本は、同年5月7日、被告に送達された。
2 特許請求の範囲の記載
(1) 本件訂正前の特許請求の範囲の記載
鋼を雰囲気熱処理するために、熱処理炉内にキャリヤガスとエンリッチガスとの均一な混合雰囲気を形成し、鋼の表面炭素濃度に相当する前記雰囲気のガス成分の値と目的の鋼表面炭素濃度とを比較して自動制御する鋼の熱処理方法において、前記熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給し、エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入し、炉内のガス中のCO2、H2O、O2のうちいずれか一つの濃度を測定し、その測定値と当該熱処理で要求される鋼表面炭素濃度に相当するCO2、H2O、O2のうちいずれかの値とを比較して前記パラフィン系炭化水素ガスの炉内送入を自動制御し炉気を制御する方法。
(2) 本件訂正に係る特許請求の範囲の記載
鋼を雰囲気熱処理するために、熱処理炉内にキャリヤガスとエンリッチガスとの均一な混合雰囲気を形成し、鋼の表面炭素濃度に相当する前記雰囲気のガス成分の値と目的の鋼表面炭素濃度とを比較して自動制御する鋼の熱処理方法において、前記熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給しながら、エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入し、炉内のガス中のCO2、H2O、O2のうちいずれか一つの濃度を測定し、その測定値と当該熱処理で要求される鋼表面炭素濃度に相当するCO2、H2O、O2のうちいずれかの値とを比較して前記パラフィン系炭化水素ガスの炉内送入を自動制御し炉気を制御する方法。
(注 下線部が訂正個所である。)
3 審決の理由の要点
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本件発明の要旨を本件訂正前の特許請求の範囲記載のとおりと認定したうえ、本件発明が、昭和47年9月1日発行の「実務表面技術」第224号所収の【G】の論文「ガス浸炭における反応」(審決甲第1号証、本訴甲第3号証、以下「引用例1」という。)、特公昭39ー7119号公報(審決甲第2号証、本訴甲第4号証、以下「引用例2」という。)、昭和41年発行の「島津評論」第23巻第2号所収の【H】の論文「カーボマーグ プロセスによるガス浸炭法およびその自動制御についての新しい考察」(審決甲第3号証、本訴甲第5号証、以下「引用例3」という。)及び昭和41年3月15日発行の「工業加熱」第2巻第3号所収の【I】の論文「新しいドリップフィード法によるガス浸炭について」(審決甲第4号証、本訴甲第6号証、以下「引用例4」という。)に、それぞれ記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたから、特許法29条2項の規定に違反して特許されたものであるとする請求人(原告)主張の無効理由に対し、本件発明がこれらの証拠に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものということはできず、請求人の主張する理由及び証拠方法によっては、本件特許を無効とすることはできないとした。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、引用例1、2及び4の各記載事項の認定並びに同3の記載事項の認定のうち摘示ル(審決書15頁5~10行)を除くその余の部分の認定、本件発明に係る技術課題、本件発明の目的及び解決した事項等についての明細書の記載の認定(同18頁12行~20頁10行)のうち、下記の本件発明の特徴についての認定を除くその余の部分は認める。
本件発明の要旨の認定、本件発明が「変成炉を用いない熱処理方式を前提として、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有するものであって、当該構成を採用することにより、従来変成炉方式の問題点と滴注方式の問題点を同時に解決した」(同20頁3~9行)との認定、引用例1~4に、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチガスの送入についてはガス送入方式を採用して、それらを組み合せるという構成について記載がないとの認定、引用例2~4に、プロパンが、有機液体として添加する場合には基本的に操業を困難化する物質として記載されているとの認定、及び引用例1~4の記載事項から、本件発明が容易に想到し得たものであるとすることはできないとの判断は争う。
審決は、本件審判手続において、被請求人(被告)の提出した答弁書が、審決謄本の送達の後に請求人(原告)に送達されるという手続違背がある(取消事由1)とともに、本件発明の要旨の認定を誤り(取消事由2)、本件発明の特徴を誤って認定し(取消事由3)、また、引用例1~4の記載事項から本件が容易に想到し得たものであるとすることはできないと誤って判断した(取消事由4)ものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1(審判の手続違背)
本件審判の手続においては、被告から平成7年11月29日付の答弁書が提出されたにもかかわらず、その後、平成9年9月5日付の審理終結の通知を経て、同年11月5日に原告に対する審決謄本の送達がなされた後である同月7日に至って、原告に対する答弁書副本の送達がなされた。
かかる答弁書副本の送達が特許法134条3項に違反するものであることは明らかであり、この手続違背の結果、原告は、十分な主張立証の機会を得られず、そのために、審決には、取消事由3に係る本件発明の特徴の誤認が生じたものであるから、この手続違背が審決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかである。
2 取消事由2(本件発明の要旨の誤認)
審決は、本件発明の要旨を本件訂正前の特許請求の範囲記載のとおりと認定したが、訂正審決の確定により特許請求の範囲が上記のとおり訂正されたため、該認定は誤りに帰したことになるので、審決が違法であることは明らかである。
3 取消事由3(本件発明の特徴の誤認)
審決は、本件発明につき、「変成炉を用いない熱処理方式を前提として、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有するものであって、当該構成を採用することにより、従来変成炉方式の問題点と滴注方式の問題点を同時に解決したものと認められる。」(同20頁3~10行)と認定したが、誤りである。
すなわち、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを結合させる方式は本件出願前に既に存在していたのであって、本件発明の特徴は、そのこと自体にあるのではなく、そのような方式を前提として、エンリッチ用の浸炭剤として、特にキャリアガスと異なる分解後の成分比を有するプロパン等のn≦4の炭化水素ガスをガス送入する方式を採用し、これをキャリアガスについての滴注方式と結合した点にある。
そのことは、被告自身が、本件審判の答弁書において、「ガス浸炭の技術においては、キヤリヤガス組成と分解後の成分比が同じガス又は液体をエンリツチ用として使用するのが鉄則であるから、そのように鉄則に反するような選択をするインセンティブはなかったのである。それを敢えて選択したところに本件特許発明の当業者における意外性があり、それによって前述した顕著な効果を得ることができたところに、本件特許発明の進歩性が認められるのである。」(甲第8号証24頁15~20行)と主張していること、被告自身の出願に係る特開昭50ー159427号公報(甲第12号証、以下「引用例5」という。)により、本願出願当時、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用した技術が公知であったことに照らしても明らかである。
4 取消事由4(進歩性の判断の誤り)
(1) 審決は、本件発明と引用例1に記載された事項との対比判断において、「甲第1号証(注、引用例1)には、・・・エンリッチガスの炉内への送入については、何ら記載がないから、甲第1号証には、本件特許発明が主たる特徴とする、キャリアガスについては、滴注方式を、エンリッチ用のガスの送入については、ガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せるという構成については記載がなく、また、示唆する記載も認められない。」(審決書20頁12行~21頁3行)と認定し、さらに、引用例1には、本件特許発明の必須の構成である「熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給」する構成及び「エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入」する構成が記載されているとの原告の主張(同23頁9~17行)に対し、「甲第1号証の該当個所である第443頁右欄10行~第444頁左欄29行を見る限り、その前段において、エンリッチガスの添加は、変成ガスについてのみ記載されているから、『またエンリッチガスとして生のC3H8、C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない。』との記載は、変成ガスを用いる場合を前提としていることは明らかであり、したがって、この記載を滴注式について述べたものであるとする請求人の主張は採用することができず」(同24頁1~11行)と判断するが、いずれも誤りである。
すなわち、ガス浸炭法においては、変成炉方式と滴注方式の2方式が存在するところ、両方式においてキャリアガスの発生場所及び発生方法は異なるものの、キャリアガス自体の組成は基本的に異ならず、いずれの方式においても、浸炭炉内では、
2CO [C]+CO2
というブードア反応を利用して浸炭処理を行っているから、浸炭炉に着目すれば、両方式に特段の差異は存在しない。特に、滴注方式が、本件発明の要旨の「気化して供給し」との文言に該当する場合には、変成炉に対応する分解炉を使用することになるので、両方式の相違はより一層存在しない。
このように、浸炭炉に着目すれば、変成炉方式と滴注方式に特段の相違がない故に、引用例1は、その2ー1項(甲第3号証443頁右欄11行~444頁左欄29行)において、変成炉方式と滴注方式の双方について説明したうえで、その最後に、両者を区別しないで、「以上のように現在使用されているガスふん囲気は,N2が鋼への浸炭反応,酸化還元反応に無関係な希釈ガスと考えて除外すれば,COとH2,それに微量のCH4,H2O,CO2の相互反応と,FeへのCの浸入について考えればよいことになる.またエンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない.」(同444頁左欄21~29行)と記載しているのであり、この「エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない.」との部分は、変成炉方式だけでなく滴注方式においても妥当する記載である。審決は、「その前段において、エンリッチガスの添加は、変成ガスについてのみ記載されている」ことを理由に、上記部分の記載が変成ガスを用いる場合を前提としていると判断するが、その前段の記載、すなわち「現在,実用化されているガス浸炭は天然ガス(メタンを主成分),プロパン,ブタンなどの炭化水素ガスをニッケル触媒を用いて吸熱反応によって変成した吸熱反応ガスに,エンリッチとして少量の炭化水素ガスを添加したふん囲気を使用している.」(甲第3号証443頁右欄12~17行)との記載にあるように、変成炉方式においてエンリッチガスを添加することが常に予定されている以上、上記部分の記載が変成ガスを用いる場合を前提としているのであれば、「エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合は」というような限定的な記載にはなり得ない。
したがって、引用例1には、「熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給」する構成(滴注方式)において、「エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガス」であるプロパン(C3H8)、ブタン(C4H10)を「炉内に送入」することが記載されているというべきである。
(2) 審決は、本件発明と引用例2~4に記載された事項との対比判断において、「甲第2、3及び4号証(注、引用例2~4)のいずれにも、キャリアガスについては、滴注方式を、エンリッチ用のガスの送入については、ガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せるという構成については記載がなく、また、示唆する記載も認められない。さらに、甲第2、3及び4号証には、本件特許発明において、エンリッチガスとしてガス送入されるプロパンについて、有機液体として用いた場合には、ガス組成が不安定化し、浸炭のプロセス制御が困難化すること・・・や、すすの発生を防ぐため特に慎重な注意が必要である・・・ことが記載されており、・・・プロパンについて、有機液体として添加する場合には、基本的に操業を困難化する物質とされている。」(審決書21頁15行~22頁10行)と認定し、さらに、引用例3には、エンリッチガスとしてプロパンをガス状態で用いることが記載されているとの原告の主張に対し、「甲第3号証(注、引用例3)の該当個所である第33頁右欄第10行~第34頁左欄第37行を見る限り、請求人(注、原告)が主張のよりどころとする、『添加浸炭剤は、プロパンのようなガスであっても・・・』という構成は、ガス発生炉方式を前提としたものであり、滴注方式を前提とするものではないから、請求人の主張を採用することはできない。」(同24頁11~18行)と判断するが、いずれも誤りである。
(イ) 引用例2には「公知の一方法によれば、クラツキングによってメタノールから生じたガスが純粋なプロパン蒸気と混合され、この混合物が炉に供給される。・・・著しく変動するCO含有量により又それに伴つて強制的に変化された他のガス成分の体積比により、この方法は実地に於て論議の価値がない程多くの不確実な因子が測定に持込まれるものである。」(甲第4号証5頁左欄19~27行)との記載がある。
この「公知の一方法」とは、引用例2に「(a) 浸炭ガスは適当なガス発生器中で作られ、熱処理炉中へ既に必要な組成を以て或は担体ガスとして単に弱い浸炭作用を伴つて導入される。この後者の場合はもつと強い浸炭作用を行なうガスが炉に供給される。」(同1頁左欄下から6~3行)と記載されている公知方法であると考えられるところ、引用例2には、この方法につき、「前記(a)項の方法はガス発生器の駆動が多くの場合過大な経費を必要とするという大きな欠点を有する。又ガス浸炭に対して、担体ガスとしてほぼ1/3CO+2/3H2の組成、場合によりN2で希釈された組成を有するガスを用いることは公知である。更にガス乃至蒸気乃至クラツキング又は熱分解によつて生成されたガスで例えばプロパンの如く強力な浸炭特性を有するガスを用いることも公知である。」(同頁右欄8~14行)との記載があり、この記載において担体ガス(キャリアガス)として用いるとされているガスは、「メタノールは理論的反応に従い800℃以上の炉内温度に於て、主として1/3のCO及び2/3のH2より成る混合物に分解する」(同4頁右欄24~26行)とあるとおり、その「1/3CO+2/3H2の組成」がメタノールを高温によって分解した場合の組成に合致することに照らして、また、引用例1の第1表(甲第3号証443頁右欄)に記載されているとおり、変成炉で炭化水素ガスを変成させたガスであれば、40~47%のN2が含まれていて更にN2で希釈する必要がないのに、場合によりN2で希釈することが記載されていることに鑑みても、分解炉においてメタノール等を高温で分解させて発生したガスを指すものであると解され、結局、「(a)項の方法」とは、上記のようにして発生させたガスに、場合によって希釈ガスとしてN2を添加し、さらにエンリッチガスとして、プロパンガス等を添加して浸炭炉に送給する方法を指すものということができ、そう解することにより、上記「公知の一方法によれば、クラツキングによってメタノールから生じたガスが純粋なプロパン蒸気と混合され、この混合物が炉に供給される。」との記載とも合致する。
そうすると、この方法は、変成炉で炭化水素ガスを変成させてキャリアガスを得る変成炉方式ではなく、浸炭炉に直接メタノールを滴注し、高温によって分解させてキャリアガスを発生させる滴注方式とも異なるが、該滴注方式の方法と、分解炉でメタノールを高温で分解させて発生したキャリアガスを浸炭炉に導入する方法とは、キャリアガスの発生場所が異なるだけで、基本的な方法としては何ら異ならず、当業者であれば容易に置換できるものであるから、この方法は、滴注方式の亜種ともいうべきものである。したがって、引用例2には、キャリアガスについては滴注方式を採用し、エンリッチガスの送入についてはプロパン等のガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せる構成が示唆されているというべきである。
ところで、引用例2は、上記のとおり、「著しく変動するCO含有量により又それに伴つて強制的に変化された他のガス成分の体積比により、この方法は実地に於て論議の価値がない程多くの不確実な因子が測定に持込まれるものである。」として、この方法を評価していないが、それは、次の理由によるものである。すなわち、基本的にガス浸炭におけるカーボンポテンシャルはガス中のCOとCO2の比によって決定されるが、現実には浸炭炉内の両者の含有量は常に変化しているにもかかわらず、COの含有量は一定であるとの仮定の下にCO2の含有量のみを測定した結果に基づいてカーボンポテンシャルの制御をしていることから、引用例2の特許請求の範囲に記載された発明(滴注方式の一種であるカーボマーグプロセス)は、エンリッチガス発生用の滴注剤につき、その分解後の組成がキャリアガス発生用の滴注剤とほぼ同じものを選択して、COの含有量が一定であるとの仮定を維持しようとしているところ、仮にエンリッチ剤としてプロパンを添加した場合には、それが分解した際にH2が生じ、COの含有量が低下するために、上記の方法が評価されなかったものである。
しかしながら、実際の操業過程において、エンリッチ剤は1~2%程度しか用いず、また、CO含有量の変化をもたらす要因としては、浸炭炉の密封不完全による外気の影響等他にも存在することを併せ考えれば、プロパンを使用することが他のエンリッチ剤の使用の場合と比較して極端な差異をもたらす訳ではなく、結局、エンリッチ剤としてプロパンを使用できるかどうかは、制御精度をどこまで要求するかということと関連する問題であり、要求される制御精度の程度によっては、プロパンが「操業を困難化する物質」とはいえないのである。
なお、審決は、引用例2が「プロパンについて、有機液体として添加する場合には、基本的に操業を困難化する物質とされている。」としているが、クラツキングによってメタノールから生じたガスが「純粋なプロパン蒸気と混合され」との記載から、引用例2には、プロパンが蒸気、すなわち気体として用いられることが記載されていることは明らかであり、また、浸炭炉にプロパンを液体で供給しようと、ガスで供給しようと浸炭反応に変わるところはない。
(ロ) 引用例3には「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても,これらは炉の雰囲気中で分解しメタンの生成にすすむと考えられる。」(甲第5号証34頁左欄34~37行)との記載があるところ、審決は、上記のとおり、「2.ガス浸炭におけるキャリア ガス法」(甲第5号証33頁右欄10行)として、この記載を含み、「メタンガス,プロパンあるいは都市ガスは空気と混合され,外部から加熱されると不完全燃焼をおこす。・・・メタンの生成にすすむと考えられる。」(同33頁右欄11行~34頁左欄37行)とある記載をみる限り、上記「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても,これらは炉の雰囲気中で分解しメタンの生成にすすむと考えられる。」という構成が、ガス発生炉方式(変成炉方式)を前提としたものであり、滴注方式を前提とするものではないと判断する。しかしながら、浸炭炉に着目すれば、変成炉方式と滴注方式に特段の相違がないことは前示のとおりであり、また、変成炉方式においてはプロパンのようなガスを、滴注方式においてはイソプロパノール等の有機液体を添加浸炭剤(エンリッチ用剤)として使用することが多いことを併せ考えれば、該記載が変成炉方式のみを前提としたものであるとは到底解されないものであり、変成炉方式と滴注方式の双方を前提としたものと解すべきである。
また、引用例3には、「3.新しいドリップ フィード法によるガス浸炭(カーボマーグ プロセス)」として、滴注方式の一種であるカーボマーグプロセスによるガス浸炭法の説明があり(同34頁右欄15行~35頁右欄11行)、図1(同34頁右下欄)を含むその説明中に、キャリアガスを発生させる液体としてメタノールを用いるとともに、浸炭剤としてプロパンを用いることが記載されている。該図1につき、審決は、「ル.図1には、『炉の雰囲気中の一酸化炭素含有量に与えるメタノールと浸炭液の混合比の影響(理論値)』と題して、浸炭液としてプロパンを用いた場合に、一酸化炭素含有量(%)が、33%から0%まで変動することが記載されている。」(審決書15頁5~9行)と認定しているところ、確かに、図1には「炉の雰囲気中の一酸化炭素含有量に与えるメタノールと浸炭液の混合比の影響(理論値)」との説明が付され、また、図1のグラフの横軸には「浸炭液(%)」との表示があるが、いずれも常温で液体であるメチルアセテート(CH3COOCH3)、エチルアセテート(CH3COOC2H5)、アセトン(CH3COCH3)、イソプロパノール(C3H7OH)を浸炭剤(エンリッチ用剤)として使用する場合には液体として用いることになるとしても、沸点が-42.1℃であるプロパン(C3H8)を、沸点以下に冷却して液体として用いることは技術常識に反するものである。引用例3には上記のとおり、「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても」との記載もあることから、当業者であれば、図1を含む上記記載から、滴注式ガス浸炭において浸炭剤としてプロパンを用いるときに、常温でガス体として用いることは容易に想到することができるものである。
したがって、引用例3には、キャリアガスについては滴注方式を採用し、エンリッチガスの送入についてはプロパン等のガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せる構成が示唆されているというべきである。
ところで、引用例3には、「図1は種々の有機浸炭剤が,COが1/3,H2が2/3であるメタノールの分解ガス組成におよぼす影響を示すものである。プロパン(C3H8)による浸炭では,この図によるとH2のみガス状で発生している。浸炭剤としてプロパンを用い,キャリア ガスとしてメタノールを用いると非常に変化しやすい組成のガスを供給する結果になる。そのためにCO2,あるいは露点の測定によって浸炭のプロセスを制御することは,・・・まったく困難なものとなるであろう。」(甲第5号証34頁右欄33行~35頁左欄3行)との記載がある。このように、キャリアガスとしてメタノールを用い、浸炭剤(エンリッチ用剤)としてプロパンを用いることが評価されていない理由は、上記(イ)の引用例2についての場合と同様であり、したがって、上記記載があるからといって、プロパンが「操業を困難化する物質」であるということはできない。
(ハ) 引用例4には、「カーボマーグプロセスでは浸炭用有機液体としてカーボン当量の低いエチルアセテート,メチルアセテート+アセトン及びイソプロパノールなどを使用するが,このほかにもカーボン当量の低い浸炭用有機液体としては次のものが考えられる。(1) プロパン(C3H8)、(2) メタン(CH4)」(甲第6号証35頁左欄末行~右欄6行)と記載されており、滴注方式の一種であるカーボマーグプロセスにおいて、浸炭剤(エンリッチ用剤)として、プロパンやメタンを用いることが記載されている。
ここには、プロパンが「浸炭用有機液体」とされているが、上記(ロ)において述べたと同様、当業者であれば、この記載からプロパンを気体として使用することに想到することは容易であり、また、プロパンが「操業を困難化する物質」であるということはできないことも、上記(イ)で述べたとおりである。
したがって、引用例4には、キャリアガスについては滴注方式を採用し、エンリッチガスの送入についてはプロパン等のガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せる構成が示唆されているというべきである。
第4 被告の反論の要点
審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
1 取消事由1(審判の手続違背)について
本件審判の手続において、被告からの答弁書の提出、審理終結の通知、審決書謄本の送達及び原告への答弁書の送達の経緯が原告主張のとおりであったことは認める。
しかしながら、本件審判の手続においては、審判体が双方の主張立証を審理検討して然るべき心証が得られ、もはや弁駁書の提出の必要がないものと判断した結果、審理終結の通知がされたものであるが、原告に対する審決謄本の送達は審理終結の通知から66日後になされており、原告において、必要があれば、審理再開の申立てをして主張立証をする機会は十分にあった。
したがって、原告に対する答弁書の送達が審決謄本の送達の2日後であったとしても、そのこと故に原告の主張立証の機会が奪われたとはいえず、審決を違法とするほどの手続違背があったとすることはできない。
2 取消事由2(本件発明の要旨の誤認)について
本件訂正は、審決の認定した本件発明の特徴をより明確にするものであって、審決の認定、判断、結論に些かも影響を及ぼすものではないから、本件訂正によって審決が違法であるとする原告主張は誤りである。
3 取消事由3(本件発明の特徴の誤認)について
原告は、被告が本件審判において提出した答弁書の記載を引用して、本件発明の特徴が、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用してこれを結合する方式を前提として、エンリッチ用の浸炭剤として、特にキャリアガスと異なる分解後の成分比を有するプロパン等のn≦4の炭化水素ガスをガス送入する方式を採用し、これをキャリアガスについての滴注方式と結合した点にあると主張するが、該答弁書は、全体として、審決の認定するとおり、本件発明が「変成炉を用いない熱処理方式を前提として、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有するものであって、当該構成を採用することにより、従来変成炉方式の問題点と滴注方式の問題点を同時に解決した」点において新規であり、かつ、進歩性を有することを主張するものであって、そのような発明が本件出願前に存在していたことを認めたものではない。
また、原告は、引用例5に基づいて、本願出願当時、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用した技術が公知であったと主張するが、引用例5は本件審判に提出された証拠ではなく、審決は、引用例5との対比において、本件発明の新規性又は進歩性について判断していないから、本件においてかかる主張をすることは許されない。のみならず、引用例5に記載された発明は、密閉した炉内を減圧した後、有機溶剤を滴注して復圧し、炉内に僅かに残留している酸素を除去して、短時間でキャリアガスを満たす点に特徴があり、エンリッチガスは、滴注を停止した後、時間的間隔を置いて送入するものであるから、キャリアガスの滴注復圧とエンリッチガスの送入は技術的に一体不可分ではなく、「キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有する」本件発明とは異なるものである。
4 取消事由4(進歩性の判断の誤り)について
(1) 原告は、ガス浸炭法における変成炉方式と滴注方式とが、浸炭炉に着目すれば特段の相違がなく、特に、滴注方式が「気化して供給」する場合には、分解炉を使用することになるので両方式の相違はより一層存在しないとしたうえで、引用例1の2ー1項(甲第3号証443頁右欄11行~444頁左欄29行)の「以上のように現在使用されているガスふん囲気は,N2が鋼への浸炭反応,酸化還元反応に無関係な希釈ガスと考えて除外すれば,COとH2,それに微量のCH4,H2O,CO2の相互反応と,FeへのCの浸入について考えればよいことになる.またエンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない.」(同444頁左欄21~29行)との部分が、変成炉方式だけでなく滴注方式においても妥当する記載であると主張する。
しかし、引用例2~4にも記載されているとおり、滴注方式は、ガス浸炭の操業において、それまでの変成炉方式の技術課題を解決すべく開発された進歩したものであり、滴注方式が「気化して供給」する場合であっても、分解炉においては、成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を滴注して分解するものであって、変成炉とは全く異なるものであるから、変成炉方式と滴注方式に特段の相違がないとする原告の主張は失当である。
また、引用例1の2ー1項においては、「現在実用化されているガス浸炭は・・・ふん囲気を使用している.」(同443頁右欄12~17行)として、変成炉方式におけるキャリアガスとエンリッチガスの送入方式を説明し、次いで、「最近開発されたドリップフィード法も・・・ふん囲気ガスを作っている.」(同443頁右欄17行~444頁左欄2行)として、滴注方式について説明した後、論述の都合上、最後の部分に、「現在使用されているガスふん囲気」、すなわち変成炉方式におけるガス雰囲気に関する説明として、原告の摘示する記載をしているのであるから、該記載が変成炉方式に関するものであることは明白であり、滴注方式においても妥当する記載であるとする原告の主張は誤りである。
なお、原告は、変成炉方式においてエンリッチガスを添加することが常に予定されている以上、上記部分の記載が変成ガスを用いる場合を前提としているのであれば、「エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合は」というような限定的な記載にはなり得ないとも主張するが、エンリッチガスは、炉内雰囲気のカーボンポテンシャルを加減するために送入量を増減し、あるいは送入停止をするものであり、該記載は、その加減操作の一場合を述べているにすぎないのであるから、「添加した場合」とされているからといって、この記載が滴注方式を含むものであるということはできない。
(2) 原告は、審決のした本件発明と引用例2~4に記載された事項との対比判断を争うが、失当である。
(イ) 原告は、引用例2に「公知の一方法によれば、クラツキングによってメタノールから生じたガスが純粋なプロパン蒸気と混合され、この混合物が炉に供給される。・・・著しく変動するCO含有量により又それに伴つて強制的に変化された他のガス成分の体積比により、この方法は実地に於て論議の価値がない程多くの不確実な因子が測定に持込まれるものである。」
(甲第4号証5頁左欄19~27行)と記載されている「公知の一方法」について縷々主張するが、いずれにしても、該記載は、キャリアガスとエンリッチガスを混合して供給する方法が示されているだけであって、連続的にキャリアガスを炉内に供給する方式において炉内のCOを一定に保たなければならないという技術課題を解決するために、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方法を採用し、これを一体不可分に組み合せたことを特徴とする本件発明の構成や技術課題を示唆するものではない。
(ロ) 原告は、引用例3の「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても,これらは炉の雰囲気中で分解しメタンの生成にすすむと考えられる。」(甲第5号証34頁左欄34~37行)との記載が、変成炉方式と滴注方式の双方を前提としたものと解すべきであると主張する。しかしながら、引用例3は、引用例2に記載された発明の発明者が当該発明、すなわち「ガス浸炭の新しい方法であるカーボマーグ プロセス」(同33頁要旨欄)について解説した論文であり、1.項の「まえがき」(同頁左下欄1行~右下欄9行)で、カーボンポテンシャルの自動制御が発生炉を必要とするキャリアガス法(変成炉方式)を基礎として積み上げられてきた旨を説明し、次いで、2.項の「ガス浸炭におけるキャリア ガス法」(同33頁右下欄10行~34頁右欄14行)において、該キャリアガス法(変成炉方式)について一般的な説明をした後、3.項の「新しいドリップ フィード法によるガス浸炭(カーボマーグ プロセス)」の説明につなげているのである。原告の摘示する上記記載は、2.項中で、あくまで変成炉方式で得たキャリアガスに、浸炭剤としてプロパンガスを用いる方式や、イソプロパノール、アセトン、エチルアセテートを用いる場合について説明したものである。
また、原告は、上記3.項の「新しいドリップ フィード法によるガス浸炭(カーボマーグ プロセス)」(同34頁右欄15行~35頁右欄11行)中の図1(同34頁右下欄)の記載を根拠として、当業者であれば、滴注式ガス浸炭において浸炭剤としてプロパンを用いるときに、常温でガス体として用いることが容易に想到することができると主張する。しかしながら、引用例3の該部分の記載は、2液滴注方式のカーボマーグプロセスに係るものであって、図1には「炉の雰囲気中の一酸化炭素含有量に与えるメタノールと浸炭液の混合比の影響(理論値)」との説明が付されており、プロパンといえども実験的に冷却、加圧等により液体として供給した場合のことが記載されているとみるのが当然であるのみならず、「図1は種々の有機浸炭剤が,COが1/3,H2が2/3であるメタノールの分解ガス組成におよぼす影響を示すものである。プロパン(C3H8)による浸炭では,この図によるとH2のみガス状で発生している。浸炭剤としてプロパンを用い,キャリアガスとしてメタノールを用いると非常に変化しやすい組成のガスを供給する結果になる。そのためにCO2,あるいは露点の測定によって浸炭のプロセスを制御することは,・・・まったく困難なものとなるであろう。」(同34頁右欄33行~35頁左欄3行)との記載があって、2液滴注方式のカーボマーグプロセスに関連しては、プロパン自体を浸炭剤として使用することが技術的に否定されているのである。したがって、図1の記載から、滴注式ガス浸炭において浸炭剤としてプロパンをガス体として用いることが当業者に容易に想到できるとすることはできない。
(ハ) 原告は、引用例4の「カーボマーグプロセスでは浸炭用有機液体としてカーボン当量の低いエチルアセテート,メチルアセテート+アセトン及びイソプロパノールなどを使用するが,このほかにもカーボン当量の低い浸炭用有機液体としては次のものが考えられる。(1) プロパン(C3H8)、(2) メタン(CH4)」(甲第6号証35頁左欄末行~右欄6行)との記載から、キャリアガスについては滴注方式を採用し、エンリッチガスの送入についてはプロパン等のガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せる構成が示唆されていると主張する。しかし、引用例4も、引用例2に記載された発明であるカーボマーグプロセスを解説したものであって、その内容は引用例2の域を脱していない。そして、上記記載も2液滴注方式のカーボマーグプロセスにおける浸炭用有機液体について述べたものであり、この記載から、プロパンを気体として使用することが当業者に容易に想到できるとすることはできない。
第5 当裁判所の判断
便宜上、取消事由2、同3、同4、同1の順に判断する。
1 取消事由2(本件発明の要旨の誤認)について
訂正審決が確定したことより、特許請求の範囲が前示のとおり訂正されたのであるから、審決が、本件発明の要旨を本件訂正前の特許請求の範囲記載のとおりと認定したこと自体は、その訂正の限度で誤りであったことに帰したものと認められる。
しかしながら、前示本件訂正前の特許請求の範囲の記載と本件訂正に係る特許請求の範囲の記載とを対比すると、本件訂正は、「熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給する」ことと、「エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入する」こととが、時間的に同時に実行されることを明確にしたものであることが認められるところ、審決は、その認定した本件発明の要旨の「前記熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給し、エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入し」との規定について、前示明確にされたものと同趣旨と理解したうえ、本件発明の特徴を「変成炉を用いない熱処理方式を前提として、キャリアガスについては滴注方式を、エ>ンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有するものであって、当該構成を採用することにより、従来変成炉方式の問題点と滴注方式の問題点を同時に解決した」(審決書20頁3~9行)との認定をしたものと認められ、かつ、後記2のとおり、該認定に誤りはないから、前示瑕疵は、審決の判断及び結論に全く影響を及ぼすものではなく、これによって審決が違法となるものではないと解すべきである。
2 取消事由3(本件発明の特徴の誤認)について
審決書18頁12行~19頁13行記載の、従来の鋼の熱処理方法(変成炉方式及び滴注方式)において解決すべき技術課題の認識及びその認識を前提とする本件発明の目的についての事項が、本件明細書に記載されていること、さらに、本件明細書には、本件発明が、「特に、『鋼に対し積極的な影響を与えないキャリヤガスを成分管理された液体の状態で直接又は気化してから炉内に供給し、ガスの状態で供給量の調整がし易いパラフイン系炭化水素を、ガスの状態で炉内に送入するようにしたことによって前述した従来の問題を全べて解決した。』・・・ものである」(審決書19頁16行~20頁2行)旨が記載されていることは当事者間に争いがない。
そして、本件明細書の以上の記載、本件訂正に係る特許請求の範囲の記載が前示のとおりであって、前示1のとおり、「熱処理炉内でキャリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給する」ことと、「エンリッチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入する」こととが、時間的に同時に実行されることが明確にされたこと、さらに、「この発明の実施例タイムチャート」(甲第2号証6欄17行)である第1図(同3頁下欄)の図示によれば、本件発明においては、炉内への有機液体の滴注、すなわち鋼に対し積極的な影響を与えないキャリアガスの生成(又は、有機液体を気化して得た同キャリアガスの炉内への送入)と、炉内へのプロパンガス(エンリッチ用のパラフイン系炭化水素ガス)の送入とが同時になされ、ガス浸炭炉の操業中、それらが相互協力的にガス浸炭に必要な所要組成の炉内雰囲気を形成・維持していることが認められ、審決が、本件発明につき、「変成炉を用いない熱処理方式を前提として、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用し、これを一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有するものであって、当該構成を採用することにより、>従来変成炉方式の問題点と滴注方式の問題点を同時に解決したものと認められる。」(審決書20頁3~10行)と認定したことに誤りはない。
原告は、本件審判において被告が提出した答弁書(甲第8号証)の「ガス浸炭の技術においては、キヤリヤガス組成と分解後の成分比が同じガス又は液体をエンリツチ用として使用するのが鉄則であるから、そのように鉄則に反するような選択をするインセンティブはなかったのである。それを敢えて選択したところに本件特許発明の当業者における意外性があり、それによって前述した顕著な効果を得ることができたところに、本件特許発明の進歩性が認められるのである。」(同号証24頁15~20行)との記載及び引用例5(甲第12号証)の記載を根拠として、本願出願当時、キャリアガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を採用した技術が公知であったとし、本件発明の特徴は、エンリッチ用の浸炭剤として、特にキャリアガスと異なる分解後の成分比を有するプロパン等のn≦4の炭化水素ガスをガス送入する方式を採用し、これをキャリアガスについての滴注方式と結合した点にあると主張する。
しかしながら、引用例5(甲第12号証)には、「ガス浸炭、浸炭窒化処理において密閉した炉内を真空排気装置で0.5~1トル(Torr)まで減圧し、その後炉内が大気圧近くに戻るまでメタノール等の有機溶剤を加熱室に滴注して分解させ、該分解ガス中のCO及びH2等が炉内にわずかに残留している酸化性ガスと反応してこれを除去し、極めて短時間で炉内にキヤリアガスを満たすようにしたことを特徴とする密閉式ガス浸炭、浸炭窒化法。」(同号証特許請求の範囲1項)及び「ガス浸炭、浸炭窒化処理において密閉した炉内を真空排気装置で0.5~1トル(Torr)まで減圧し、その後炉内が大気圧近くに戻るまでメタノール等の有機溶剤を加熱室に滴注して分解させ、該分解ガス中のCO及びH2等が炉内にわずかに残留している酸化性ガスと反応してこれを除去し、極めて短時間で炉内にキヤリアガスを満たし、しかる後赤外線分析計で炉内雰囲気ガス中のCO2を測定し、その測定値と設定値を比較し、その偏差に応じてCH4.C3H8.C4H10等の生ガス用或は空気用の電磁弁を作動させ、生ガスを導入することによりCO2を減少させ、又空気を導入することによりCO2を増加させるようにしたことを特徴とする浸炭、浸炭窒化法。」(同号証特許請求の範囲2項)が記載されており、この記載によれば、引用例5の特許請求の範囲2項の発明は、ガス浸炭において、メタノール等の有機溶剤の滴注によって得たキャリアガスと、ガス体のメタン(CH4)、プロパン(C3H8)、ブタン(C4H10)等のエンリッチ剤とを使用するものであるが、その使用態様は、密閉した炉内において、最初に滴注方式で生成したキャリアガスで炉内雰囲気を形成し、次いで、炉内雰囲気中のCO2の測定値に基づいてメタン、プロパン等のエンリッチガス又は空気を炉内に送入して、ガス浸炭中、所要組成の炉内雰囲気を形成・維持するものであること、すなわち、滴注方式によるキャリアガスの生成と、ガス送入方式によるエンリッチガスの送入は、順次行われるものであることが認められ、そうであれば、引用例5に記載された発明は、前示のとおり、炉内への有機液体の滴注によるキャリアガスの生成(又は、有機液体を気化して得た同キャリアガスの炉内への送入)と、炉内へのエンリッチガスの送入とが同時になされ、ガス浸炭炉の操業中、それらが相互協力的にガス浸炭に必要な所要組成の炉内雰囲気を形成・維持するものであって、かかる趣旨でキャリアガスについての滴注方式とエンリッチ用浸炭剤についてのガス送入方式を一体不可分のものとして結合させたところに特徴を有する本件発明とは、明らかに異なるものというべきである。さらに、被告の答弁書の前示記載は、それ自体としては、ガスの生成方式又は送入方式の観点からではなく、所要組成の炉内雰囲気を形成・維持するガス組成の観点から、本件発明の進歩性を述べたものであることが認められるが、その内容自体、本件発明が前示特徴を有することを否定するものでないことは明らかであるのみならず、前示特徴を有する本件発明がその点において新規性・進歩性を有する旨は、該答弁書(甲第8号証)の他の部分において主張されているところである(例えば、同号証4頁1行~16頁16行には、本件発明の前示特徴をなす滴注方式とガス送入方式の組合せを動機付ける記載が引用例1~4の記載事項中にない旨が記載されている。)。
したがって、原告の前示主張を採用することはできない。
3 取消事由4(進歩性の判断の誤り)について
(1) 引用例1(甲第3号証)は、その2ー1項(同号証443頁右欄11行~444頁左欄29行)において、「ガス浸炭に用いられるふん囲気」として、変成炉方式と滴注方式の双方について、雰囲気ガスの生成及びその組成等につき説明したうえで、その最後に、「以上のように現在使用されているガスふん囲気は,N2が鋼への浸炭反応,酸化還元反応に無関係な希釈ガスと考えて除外すれば,COとH2,それに微量のCH4,H2O,CO2の相互反応と,FeへのCの浸入について考えればよいことになる.またエンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない.」(同444頁左欄21~29行)と記載しているところ、このうちの「以上のように現在使用されているガスふん囲気は,N2が鋼への浸炭反応,酸化還元反応に無関係な希釈ガスと考えて除外すれば,COとH2,それに微量のCH4,H2O,CO2の相互反応と,FeへのCの浸入について考えればよいことになる.」との部分は、その文言に照らし、また、N2を除外した組成に係る「COとH2,それに微量のCH4,H2O,CO2」との記載が、2ー1項中で引用する変成炉方式に関する第1表(同号証443頁右欄、注書きを含む。)及び滴注方式に係る第2表(同頁右下欄)のいずれの表示とも符合することからみて、変成炉方式及び滴注方式の双方に関するものであると認められる。しかしながら、これに続く「またエンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない.」との記載は、改行されて独立の段落とされていることから、文章形式上も、前段同様に変成炉方式及び滴注方式の双方に関するものとは限らないのみならず、内容的に、エンリッチガスとして生のC3H8、C4H10などを添加することではなく、これを添加した場合の考慮すべき事項(熱分解反応)を記載してあることから、エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加すること自体は、それ以前に記載されているものとみるのが自然であるところ、2ー1項全体において、明らかに変成炉方式に関する「現在,実用化されているガス浸炭は天然ガス(メタンを主成分),プロパン,ブタンなどの炭化水素ガスをニッケル触煤を用いて吸熱反応によって変成した吸熱反応ガスに,エンリッチとして小量の炭化水素ガスを添加したふん囲気を使用している.」(同443頁右欄12~17行)との記載以外、そのような記載は存在しないから、結局、前示「またエンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない.」との記載は、この記載を受けた変成炉方式に関するものとみるべきであり、変成炉方式及び滴注方式の双方に関するものとは到底解し得ない。
原告は、ガス浸炭法における変成炉方式と滴注方式とが、浸炭炉に着目すれば特段の相違がなく、特に、滴注方式が「気化して供給」する場合には、分解炉を使用することになるので両方式の相違はより一層存在しないことを理由として、前示記載が変成炉方式だけでなく滴注方式においても妥当する記載であると主張するが、引用例1の前示2ー1項の記載が、全体として変成炉方式と滴注方式とを異なる方式として紹介説明していることは明らかであるから、その一部である前示記載のみ両方式に特段の相違がないことを前提とするものと解することはできない。
また、原告は、前示記載中の「エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合は」との記載部分を捉え、変成炉方式においてエンリッチガスを添加することが常に予定されている以上、前示記載が変成ガスを用いる場合を前提としているのであれば、そのような限定的な記載にはなり得ないとも主張するが、前示記載中における「エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加した場合は」との記載が、「エンリッチガスとして生のC3H8,C4H10などを添加する変成炉方式の場合は」という限定の趣旨であることも如上の説示から明らかであり、原告の該主張も採用し得ない。
したがって、審決が、「甲第1号証(注、引用例1)には、・・・エンリッチガスの炉内への送入については、何ら記載がないから、甲第1号証には、本件特許発明が主たる特徴とする、キャリアガスについては、滴注方式を、エンリッチ用のガスの送入については、ガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せるという構成については記載がなく、また、示唆する記載も認められない。」(審決書20頁12行~21頁3行)と認定し、さらに「甲第1号証の該当個所である第443頁右欄10行~第444頁左欄29行を見る限り、その前段において、エンリッチガスの添加は、変成ガスについてのみ記載されているから、『またエンリッチガスとして生のC3H8、C4H10などを添加した場合はこれらのガスの熱分解反応も考えなければならない。』との記載は、変成ガスを用いる場合を前提としていることは明らかであり、したがって、この記載を滴注式について述べたものであるとする請求人の主張は採用することができず」(同24頁1~11行)と判断したことに誤りはない。
(2)(イ) 引用例2(甲第4号証)には、ガス浸炭の公知方法の一つとして、「(a) 浸炭ガスは適当なガス発生器中で作られ、熱処理炉中へ既に必要な組成を以て或は担体ガスとして単に弱い浸炭作用を伴つて導入される。この後者の場合はもつと強い浸炭作用を行なうガスが炉に供給される」(同号証1頁左欄下から6~3行)との方法が記載され、該方法につき、さらに、「前記(a)項の方法はガス発生器の駆動が多くの場合過大な経費を必要とするという大きな欠点を有する。又ガス浸炭に対して、担体ガスとしてほぼ1/3CO+2/3H2の組成、場合によりN2で希釈された組成を有するガスを用いることは公知である。更にガス乃至蒸気乃至クラツキング又は熱分解によつて生成されたガスで例えばプロパンの如く強力な浸炭特性を有するガスを用いることも公知である」(同頁右欄8~14行)旨が記載されており、この記載に係る公知方法には、ガス発生器中で作られる弱い浸炭作用を有する担体ガス(キャリアガス)と強い浸炭作用を行なうガス(エンリッチガス)とによって熱処理炉内の雰囲気を形成して浸炭を実施する方法が含まれていることが認められる。そして、当該キャリアガスの生成に係る「ガス発生器」が具体的にどのようなものであるかについては明確にされていないが、前示「担体ガスとしてほぼ1/3CO+2/3H2の組成」が、前示引用例1の第2表掲記の滴注式浸炭炉におけるメタノール及びエチルアセテートの分解ガス成分の割合(CO32%、H266%)とほぼ符合することに鑑みれば、メタノール、エチルアセテート等の有機液体を熱分解する熱分解炉がこれに含まれるものと認められ、さらに「公知の一方法によれば、クラツキングによってメタノールから生じたガスが純粋なプロパン蒸気と混合され、この混合物が炉に供給される。」(同号証5頁左欄19~21行)との記載によれば、引用例2には、メタノールを熱分解炉で熱分解して生成したキャリアガスと、エンリッチガスとしてのプロパン蒸気を混合し、当該混合ガスを浸炭炉内へ送給して、所要の炉内ガス雰囲気を形成し、浸炭を実施する方法が、その具体例として記載されているものと認められる。
ところで、原告は、該方法に関して、浸炭炉に直接メタノールを滴注し、高温によって分解させてキャリアガスを発生させる滴注方式の方法と、分解炉でメタノールを高温で分解させて発生したキャリアガスを浸炭炉に導入する方法とは、キャリアガスの発生場所が異なるだけで、基本的な方法としては何ら異ならず、当業者であれば容易に置換できるものであるから、この方法は、滴注方式の亜種ともいうべきものであると主張する。しかし、滴注方式(原告主張に沿って、エンリッチガスについてはガス送給方式を採用したものを想定する。)は、浸炭炉(熱処理炉)に直接メタノールを滴注してキャリアガスを発生させるものであるから、キャリアガスとエンリッチガスの混合は浸炭炉内で行われるのに対し、前示の方法は、浸炭炉への送給前にキャリアガスとエンリッチガスを混合し、その混合ガスを浸炭炉内へ送給する点において滴注方式と異なるものである。そして、この点の相違に基づき、滴注方式は、炉内に送給する有機液体であるメタノールの量とエンリッチガスの量の調整によって炉内ガス雰囲気の制御をするものであるのに対し、該方法においては、キャリアガスの量とエンリッチガスの量の調整によって炉内ガス雰囲気の制御をするものであるとの相違がもたらされることになるから、滴注方式と前示の方法とは、技術的な性格が異なるものといわざるを得ず、当業者が容易に置換し得るものとはいい難い。
のみならず、引用例2(甲第4号証)には、前示「公知の一方法によれば、クラツキングによってメタノールから生じたガスが純粋なプロパン蒸気と混合され、この混合物が炉に供給される。」との記載に引き続いて、「第4図の線図から明らかに見られることは、斯る方式が一つのガス成分、例えばCO2の決定を経て調節さるべき場合には文献中で論ぜられた難点がこの線図に基くことである。著しく変動するCO含有量により又それに伴って強制的に変化された他のガス成分の体積比により、この方法は実地に於て論議の価値がない程多くの不確実な因子が測定に持込まれるものである。」(同号証5頁左欄21~27行)との記載があるところ、該記載及び図面第4図の図示によれば、メタノール分解ガスにプロパンを添加した場合の炉内ガス雰囲気は、メチルアセテート、エチルアセテート等、他のエンリッチ用剤を添加した場合と比較して、エンリッチ用剤のメタノールに対する割合の変化に伴う炉内ガス中のCO含有量の変化、すなわちカーボンポテンシャルの変化が著しく、したがって、エンリッチ用剤としてプロパンを用いることは、炉内ガスの組成制御を困難とする浸炭法であることが記載されているものと認められる。
原告は、この点について、エンリッチ用剤としてプロパンを使用できるかどうかは、制御精度をどこまで要求するかということと関連する問題であり、要求される制御精度の程度によっては、プロパンが「操業を困難化する物質」とはいえないと主張するが、前示のとおり、プロパンを添加した場合の炉内ガス中のCO含有量の変化が、他のエンリッチ用剤と比べて著しいことは第4図の図示によって明らかであり、しかも、引用例2(甲第4号証)に、前示組成制御の困難性の改善を意図する技術事項の記載は格別見当たらないから、引用例2には、エンリッチ用剤としてプロパンを用いる方法が炉内ガスの組成制御を困難とする浸炭法としてのみ位置付けられていることは明らかである。
(ロ) 引用例3(甲第5号証)は、「ガス浸炭の新しい方法であるカーボマーグ プロセス」(同号証33頁要旨欄)等について解説した論文であり、その2.項として、「ガス浸炭におけるキャリア ガス法」との標題を有する記載(同33頁右下欄10行~34頁右欄14行)があるところ、原告は、そのうちの「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても,これらは炉の雰囲気中で分解しメタンの生成にすすむと考えられる。」(同号証34頁左欄34~37行)との記載が、変成炉方式と滴注方式の双方を前提としたものであると主張する。
しかしながら、前示2.項は、その冒頭の「メタンガス,プロパンあるいは都市ガスは空気と混合され,外部から加熱されると不完全燃焼をおこす。その際に発生するガスは,原料ガスの種類によって異なるがその組成はおよそ表1に示す範囲のものである。表1に示すようなガスは通常キャリア ガスと呼ばれ,弱い浸炭作用を持っている。そして,強い浸炭作用を持つ浸炭剤(炭化水素CmHnが多い)のごく少量の添加を必要とする。・・・浸炭のプロセスについては物理的,化学的基礎理論があるが,ここでは操業上根本的に重要である事実のみについて総括して述べることにする。」(同33頁右下欄11行~34頁左欄6行)との記載に引き続き、原告の摘示する記載を含む技術事項の説明がなされた後、「このようにしてカーボン ポテンシャルの制御のために露点またはCO2の測定を採用する場合に重要な前提が必要となるのである。その前提とは“基本になるガス組成はつねに一定でなければならない”ということである。この前提条件を満足する一定組成のガスを得ることは,1940年の終わりころまではコストの高い発生炉-キャリア ガス法によってのみ可能であったのであるが,それにもまた限界があった。この期間においては,CO2またはH2Oの含有量を制御することのできる経済的なドリップ フィード法は,実際には効果的に操業されていなかった。カーボマーグ プロセスとして知られる新しいガス浸炭法がガス発生炉を用いずに,ドリップ フィード法の原理を応用して発明され,CO2の含有量又は露点によりカーボン ポテンシャルの制御を効果的におこなうことができるようになったのである。カーボマーグ プロセスによって,ドリップ フィード法の経済的利点と発生炉-キャリア ガス法の技術的特長とが結合され,かつ,それぞれの欠点を補うことができるようになったのである。」(同34頁左欄下から3行~右欄14行)との記載で結ばれている。そして、前示冒頭の記載が、標題の「キャリア ガス法」、すなわち変成炉方式についてのものであること、また、前示末尾の記載も「・・・それにもまた限界があった。」との部分までは変成炉方式についてのものであることがそれぞれ明らかであるから、2.項の記載は、変成炉方式を念頭に置いてガス浸炭に係る基本的な技術的事項について説明したうえで、変成炉方式に技術的な限界があることを示し、一転して、ドリップフィード法(滴注方式)の一種であるカーボマーグプロセスによってその解決を図り得ることを述べて、3.項の「新しいドリップ フィード法によるガス浸炭(カーボマーグ プロセス)」の記載(同34頁右欄15行~35頁右欄11行)につなげたものとみることができる。
そうであれば、「ここでは操業上根本的に重要である事実のみについて総括して述べることにする。」として説明されている技術事項は、滴注方式においても妥当するものがあるとしても、専ら変成炉方式を念頭において記載されたものであると認められ、したがって、原告の摘示する前示記載も、引用例3のそのような文章構成上、変成炉方式を前提とするものであって、滴注方式を前提とすることが記載又は示唆されているものではないといわざるを得ない。したがって、審決が「甲第3号証(注、引用例3)の該当個所である第33頁右欄第10行~第34頁左欄第37行を見る限り、請求人(注、原告)が主張のよりどころとする、『添加浸炭剤は、プロパンのようなガスであっても・・・』という構成は、ガス発生炉方式を前提としたものであり、滴注方式を前提とするものではない」(審決書24頁11~17行)としたことは正当であり、原告の前示主張を採用することはできない。
ところで、引用例3(甲第5号証)の前示3.項には、「カーボマーグプロセスは,2種類の有機液体を利用するのである。第1の有機液体は,普通,メタノール(CH3OH)を使用する。・・・第2の有機液体は通常エチルアセテート(CH3COOC2H5)を使用する。これは浸炭剤であって,・・・一般的にそれぞれの液体の供給をたがいに無関係におこなえぱ,生成したガスの組成は不安定なものとなるが,カーボマーグ プロセスにおいては,2種類の液体は,たがいによく調和してそれぞれの液体の分解ならびに浸炭反応の結果,正確な組成をもったガスができる。図1は種々の有機浸炭剤が,COが1/3,H2が2/3であるメタノールの分解ガス組成におよぼす影響を示すものである。」(同号証34頁右欄17~34行)との記載があり、「炉の雰囲気中の一酸化炭素含有量に与えるメタノールと浸炭液の混合比の影響(理論値)」との説明が付された図1(同頁右下欄)には、メチルアセテート(CH3COOCH3)、エチルアセテート(CH3COOC2H5)、アセトン(CH3COCH3)、イソプロパノール(C3H7OH)とともに、プロパン(C3H8)に係るグラフがあり、メタノールとの混合比が0%から100%となるに伴って、炉の雰囲気中の一酸化炭素含有量が約33%から0%まで直線的に変化することが示されている。
しかるところ、原告は、前示のとおり、図1において「浸炭液」とされているプロパンに関し、沸点が-42.1℃であるプロパンを、沸点以下に冷却して液体として用いることは技術常識に反するものであり、また、引用例3には、前示「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても」との記載もあることから、当業者であれば、図1を含む上記記載から、滴注式ガス浸炭において浸炭剤としてプロパンを用いるときに、常温でガス体として用いることは容易に想到することができると主張する。しかし、「添加浸炭剤は,プロパンのようなガスであっても,またイソプロパノール,アセトン,エチル アセテートのような有機液体の場合であっても」との記載が変成炉方式を前提とすることは前示のとおりであるし、また、カーボマーグプロセスについての前示記載及び図1の説明文のとおり、図1は、浸炭剤についても有機液体の滴注方式を用いるカーボマーグプロセスにおける各種浸炭液のメタノール分解ガス組成に及ぼす影響を示すものであり、さらに、プロパンが、圧縮によって常温でも液体で存在し得ることは技術常識であることを併せ考えれば、図1を含む引用例3の記載に基づいて、当業者が滴注式ガス浸炭の浸炭剤としてプロパンを用いるときに、常温でガス体として用いることに容易に想到することができるものとは到底解されない。
のみならず、引用例3(第5号証)の3.項には、前示記載に引き続いて、「プロパン(C3H8)による浸炭では,この図によるとH2のみガス状で発生している。浸炭剤としてプロパンを用い,キャリア ガスとしてメタノールを用いると非常に変化しやすい組成のガスを供給する結果になる。そのためにCO2,あるいは露点の測定によって浸炭のプロセスを制御することは,(4)式と(5)式より判断して,まったく困難なものとなるであろう。」(同号証34頁右欄35行~35頁左欄3行)との記載があり、この記載と図1の図示とによれば、メタノール分解ガスに浸炭液としてプロパンを使用した場合の炉内ガス雰囲気は、メチルアセテート、エチルアセテート等、他の浸炭液を用いた場合と比較して、浸炭液のメタノールに対する割合の変化に伴う炉内ガス中の一酸化炭素含有量の変化、すなわちカーボンポテンシャルの変化が著しく、したがって、浸炭液としてプロパンを用いることは、炉内ガスの組成制御を困難とする浸炭法であることが記載されているものと認められる。
この点につき、原告は、上記(イ)の引用例2についての場合と同様の理由で、プロパンが「操業を困難化する物質」であるということはできないと主張するが、前示のとおり、浸炭液としてプロパンを用いた場合の炉内ガス中の一酸化炭素含有量の変化が、他の浸炭液と比べて著しいことは第1図の図示によって明らかであり、しかも、引用例3(甲第5号証)に、前示組成制御の困難性の改善を意図する技術事項の記載は格別見当たらないから、引用例3に浸炭液としてプロパンを用いる方法が炉内ガスの組成制御を困難とする浸炭法としてのみ位置付けられていることは明らかである。
(ハ) 引用例4(甲第6号証)は、「新しいドリップフィード法によるガス浸炭について」と題し、カーボマーグプロセス、その他のガス浸炭法について解説した論文であり、その2.4項に「カーボマーグプロセスの浸炭用有機液体」との標題を有する記載(同号証35頁左欄下から2行~36頁左欄15行)があるところ、原告は、そのうちの「カーボマーグプロセスでは浸炭用有機液体としてカーボン当量の低いエチルアセテート,メチルアセテート+アセトン及びイソプロパノールなどを使用するが,このほかにもカーボン当量の低い浸炭用有機液体としては次のものが考えられる。(1) プロパン(C3H8)、(2) メタン(CH4)」(同35頁左欄末行~右欄6行)との記載につき、滴注方式の一種であるカーボマーグプロセスにおいて、浸炭剤としてプロパンやメタンを用いることが記載されており、前示(ロ)の場合と同様、当業者がこの記載から「浸炭用有機液体」とされているプロパンを気体として使用することに想到することは容易であり、また、プロパンが「操業を困難化する物質」であるということはできないと主張する。
しかし、浸炭剤についても有機液体の滴注方式を用いるカーボマーグプロセスにおいて、当業者が「浸炭用有機液体」とされているプロパンを気体として使用することに容易に想到し得るといえないことは、前示(ロ)で述べたと同様である。加えて、「第5図はカーボマーグプロセスによって得られる炉のふんい気のCO含有量に与えるメタノールと各種浸炭用液体の混合比の影響を示している。第6図は同じくこの関係の理論値である。」(同36頁12~15行)との記載のある第5、第6図(同頁右上欄)には、浸炭液としてプロパンを用いた場合の炉内ガス中のCO含有量の変化が、他の浸炭液と比べて著しいことが示されており、浸炭液としてプロパンを用いることは、炉内ガスの組成制御を困難とする浸炭法であることが示唆されているものと認められる。
(ニ) 前示(イ)~(ハ)のとおりであるから、審決が「甲第2、3及び4号証(注、引用例2~4)のいずれにも、キャリアガスについては、滴注方式を、エンリッチ用のガスの送入については、ガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せるという構成については記載がなく、また、示唆する記載も認められない。さらに、甲第2、3及び4号証には、本件特許発明において、エンリッチガスとしてガス送入されるプロパンについて、有機液体として用いた場合には、ガス組成が不安定化し、浸炭のプロセス制御が困難化すること・・・や、すすの発生を防ぐため特に慎重な注意が必要である・・・ことが記載されており、・・・プロパンについて、有機液体として添加する場合には、基本的に操業を困難化する物質とされている。」(審決書21頁15行~22頁10行)と認定したことに誤りはない。
(3) そして、そうであれば、「本件特許発明(注、本件発明)における必須の構成である、キャリアガスについては、滴注方式を、エンリッチ用のガスの送入については、ガス送入方式をそれぞれ採用し、これらを組み合せるという構成について,何らの記載もなく、また、示唆もなく、さらに、本件特許発明においては、エンリッチガスとして積極的にガス送入して用いるプロパン等のパラフィン系炭化水素ガスについて、有機液体で用いる場合には、種々問題点を有するとされる、甲第1~4号証(注、引用例1~4)の記載事項から、該構成を含む本件特許発明が容易に想到し得たものであるとすることはできない。」(審決書22頁11行~23頁2行)とする審決の判断も正当である。
4 取消事由1(審判の手続違背)について
本件審判の手続において、被告から平成7年11月29日付の答弁書が提出されたにもかかわらず、その後、平成9年9月5日付の審理終結の通知を経て、同年11月5日に原告に対する審決謄本の送達がなされた後である同月7日に至るまで、原告に対する答弁書副本の送達がなされなかったことは当事者間に争いがない。
しかして、特許法134条3項は、答弁書等同項所定の文書を受理した際には、その副本を遅滞なく審判請求人に送達すべき旨を定めた規定と解すべきであるから、本件審判における原告に対する答弁書副本の送達の手続には、同項に違背した瑕疵があるものといわざるを得ない。
しかしながら、該答弁書(甲第8号証)に記載された事項は、本件発明の特徴及び本件発明の進歩性についての原告主張に対する反論を中心としたものであって、その内容は、本件明細書並びに引用例1~4等原告が審判事件において提出した証拠に基づくものであることが認められ、原告が当然予期すべき範囲内のものであるということができる。
原告は、該手続違背によって十分な主張立証の機会を得られず、そのために、審決には、取消事由3に係る本件発明の特徴の誤認が生じたものであると主張するが、前示答弁書の内容及びこれが提出されてから審理終結の通知があるまでの期間に鑑みて、答弁書が原告に送達されなかったことにより、原告の本件審判における主張立証に具体的な支障が生じたものとまでいうことはできない。また、取消事由3に係る審決の判断に誤りがないことは前示のとおりである。
そうすると、前示手続違背は、審決の結論に影響を及ぼすおそれがないものであるから、これによって審決が違法となるものではないと解するのが相当である。
5 以上の次第で、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(平成11年9月20日口頭弁論終結)
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)